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またまた私の心に響くメッセージが届いたので紹介しつつコメントした

い。まず運を味方にするには、謙虚に目の前にあることを一生懸命にや

るだけ。「こんなに私は頑張ってるのに!」「こんなことは意味がない!」

「こんな大変なことしたくない!」「なんで私がこんなことをしなくちゃ

いけないの!」こういう自分が自分を捉えている感覚と社会におかれている

自分の立場とのギャップの大小に応じて不満や都合のいい解釈をし、現実か

ら逃避する。これが運をつかめなくする大きな原因だと思う。どんなことで

も無駄なことはないと前向きに現実に立ち向かうことが大事。欽ちゃんが言っ

ているように苦手、不得意を克服して・・・とあるのは元々が『謙虚』になり

やすい境遇だからいいのだと思う。

もう一つ、必要とされることが大切という部分だが、「何をしたいか」よりも

「何をすべきか」が大事だと思う。前述したように目の前にあるすべきことを

謙虚に一生懸命やっていれば結果として「必要とされる」ことになる。

そうなれば幸せです。

以下、

萩本欽一さんの心に響く言葉より…

ちょっとだけ自分の仕事のことを振り返ってみると、わりあいうまく
いったことも多かったんじゃないかな。

それはなぜだろうって考えたら、一つ答えが見つかりました。

それは、あんまり好きじゃなかったから。

僕、子どもの頃から映画で見ていたチャップリンさんは大好きだったけど、
コメディ自体が好きでこの世界に入ったわけじゃないんですよね。

華やかな世界というのも、どちらかというと苦手だった。

じゃあなぜこの世界にやってきたかというと、ただただ貧乏から抜けだした
かっただけ。

借金取りに頭を下げている母親がかわいそうで、家を建ててあげたかっただ
け。

「笑い」に心の底から惚れていたわけじゃない。

でも、かえってそれがよかったんだと思います。

浅草の劇場でのお芝居も、テレビの仕事もラジオの仕事も、最初は「不得意だな
~」という地点から始まったの。

でも、真剣にやっていると、「ぜ~んぜんいやじゃないな」になってくる。

少しずつ、苦手なことができるようになってくるんですよね。

逆に言うと、人って、いやなことをやっていないと進歩がない。

運の神様は、もがき苦しみながら不得意なものに取り組んでいる人にやさしいみた
い。

僕の場合も、苦手なことのなかに、運は落ちていました。

だけど、苦手、不得意を克服して、「楽しい」になってくると、落とし穴に落ちるん
です。

たとえば「海外ロケ」なんていうとみんなたいてい楽しそうにしているけど、僕は時間
が空いても観光はいっさいせず、意識して「楽しまない」ようにしていました。

お金をいただいて仕事で行っているのに、楽しんじゃったら罰(ばち)が当たるって思
ってたの。

なんの仕事でも同じじゃないかな。

難関を突破して憧れの会社に入っても、始めは会議のための資料コピーとか、お茶の用意
を命じられたりしません?

でも、そこで「こんな雑用をするためにこの会社に入ったんじゃない」なんて思うと、運
の到達は遅れます。

無駄なことをするのをいやがらないかどうか。

これでその人の将来がわかっちゃう。

「いやだな」と思う人は、たとえその会社で偉くなっても、「なんでもっと上の地位じゃな
いんだ」と思うんじゃないかな。

「いやじゃないな」と思う人は、どんなことでもいやがらず積極的に取り組むので、どんどん
仕事ができるようになる。

そのときの損、得じゃなくて、自分の目の前にやってきたことを精いっぱいこなしていく人に、
運は近づいてくるんです。

萩本欽一さんは、昔、世話をしたことのある、映画監督になりたくてフランスに留学した、ある
若者から相談を受けた。

フランス語もできないのに、何度門前払いを食っても、あきらめずに一週間通い続けた画廊(パリ
と銀座に店がある)に雇ってもらい、10年間、留学を続けたという。

映画の学校に通い、もうすぐ監督になれるところまできた、ちょうどその時、画廊の社長から「自分
のあとを継がないか?」、と言われ、迷いに迷って、意見を聞きに来たという。

萩本さんは、

『「ばかだな~、人生っていうのは自分がなにになりたいかじゃない。だれに必要とされているか
なんだ。アルバイトで入った画廊の社長さんに、あとを継いでほしいって言われるほど惚(ほ)れ
られるやつって、おまえのほかにいる?おまえの監督作品なんてだれにも必要とされてないし、僕も
期待してないよ」

この言葉が決定打だったかは知らないけれど、彼は画商になりました。

彼は画商になってから、女性誌やテレビで紹介される、世界的に活躍する美術商になっちゃった』

何かを決めるとき、それを損得とか、好きとか嫌いとかではなく、その時、その時の運命のような
「ご縁」を大切にしたとき、運はたまる。

つまり、目の前にやってきた大事な「ご縁」をないがしろにせず、ただひたすら精いっぱいやったとき。

鋭(するど)い人や、頭のいい理屈に長(た)けた人は、これがなかなかできない。

できるのは、自分の損得に鈍(にぶ)い、少しボーっとしている人であり、自分のことより先に、
人の喜びを考える人。

「なにになりたいかではなく、だれに必要とされているか」

ご縁を大切に、目の前にやってきたことにひたすら取り組む人でありたい。

 

お客様の会議室で釘付けになったので思わずカメラに収めてしまいました。

「心は行動となり」すべての原点は心。正しくない心で行動し、習慣化して時が

流れれば当然のことながらいい運命を引き寄せることは出来ない。

宿命は変えられないが、運命は変えられる。

いい運命を引き寄せるための正しい心とは?

「自身の利益追求に陥らず、周囲の利益を考え、謙虚に、前向きに、こうなりたい

と強く思う」ことかなと思う。

そうすれば行動が変わり、習癖が変わり、品性が変わり、運命もかわるはず。

 

 

 

 

 

 

あたりまえだけど両方経験してみてその通りと思うお言葉。
さすがは松陰先生です。

意味は、
子供が親を思う心よりも、親が子供を思う、慈愛の心のほうが、
深いということ。
解説は、
江戸時代の終わりに、幕府を非難したため、安政の大獄で、処刑
された吉田松陰が、死の直前に残した言葉のようです。 親孝行で
あった吉田松陰が、自分の処刑に当たって、親が自分の死んだこ
とを知って、どんなに悲しむだろうかと、親に先立つ 親不孝を悲
しく思って作った歌のようです。このことわざには、「けふの音づ
れ何と聞くらん」という下の句があるようです。 全部の句の意味
は、「私が親を思う心よりも親の慈愛のほうが優れている。だから、
今日の私の死を、親はどんな思いで聞くのであろうか」 となると思
います。

 

facebookでたまたま見つけ記事に強烈に思うことがあったので書きます。

以下記事です。

かつては京都パープルサンガでプレイし、マンチェスター・ユナイテッドでも活躍した
パク・チソンが、日本での日々を振り返り、人生の師は三浦知良であると語っているインタビュー
があるそうです。

パク・チソン「日本人のイメージは良くなかった」|マンチェスター・ユナイテッド大好き野郎ブロ
グで紹介されていました。

最初に日本に来た時は「学校で習ったように日本人に対してのイメージは良くなかった」そうです。
それが、日々の暮らしで違うことに気付き、声をかけてくれたり、相談に乗ってくれたカズの言葉で
人生が変わったとしています。

それは「カズさんのようになりたいです」と言った時の言葉だそうです。

「いいかい智星、自国以外でサッカー選手として生き残るのは本当に困難だ、最後までサバイバ
ルする選手に一番必要なものは何かわかるかい?
技術じゃない、そのクラスの選手の技術はみんな同じくらい高いからね、一番大切な事は、サッカー
への情熱、一途の献身、毎試合今日死んでも悔い はないという思いで試合に望む、サッカーに人生
を賭ける選手だ」

カズ自身、海外でのプレイ経験があるだけに、実感のこもった言葉です。

そして、特に、この言葉には、ぼくも鳥肌が立ちました。

「ブラジルでは貧しくて、ブラジル人なのに一生スタジ アムに来れない人が沢山いるんだ。ブラ
ジル人にとっては悲劇だよ」

「智星わかるかい?ブラジルで俺は試合前に必ずス タジアム全体を見る、この中でいったい何人の
人達が一生に一回だけの試合を見にきたんだろうと思う んだ」

こんなことは、考えてみたこともなかったですね‥‥。ブラジルに住んでいても、スタジアムに足
を運ぶことが出来ない人もたくさんいる‥‥。

「毎試合今日死んでも悔いはないという思い」については、スティーブ・ジョブズも似たような言葉
を残していますが、凡人には毎日は無理としても、ときどき、その生きる覚悟を思い返さないといけ
ないな、と思いました。

というものです。

たまたま仕事柄プロのバスケ選手と身近で接していたり、経営者として成功したい、世の中の役に立
ちたいとがむしゃらに駆け抜けてきただけに感じる記事でした。

大切なことは常に全力で出せるものを全てだし、心血を注いで強烈に努力すること、妥協せず高いレ
ベルを意識しその感覚を持続すること。
そのうえで思いを馳せるアンテナ、想像力がものすごく大事なことだと思います。カズのスタジアム
の全体を見る、今回が一生に一回のくだりにも共通します。
私もうちの選手によく話します。
「プロ選手としてファンに応援してもらえること、いいプレーをした時の大歓声。こんな幸せなこと
はない。」
「日本のバスケ競技人口が62万人、その中でそれを職業にしている選手なんて300~400人いるかど
うか」
「一生でこんなに輝ける時間などよほどのことがない限り無く、その幸せな時間、つまりプロ生活な
んて10年あればいいほう」
こんなことを考えたうえで、
「何年後かに自分が引退して、奥さんと子供と2階席から所属していたチームの試合を観戦した
時に、もっとあの時頑張れば良かったと想うか、やりきったと想うか。」
どんなに頑張っても後悔がゼロになることはないだろう。
しかし、そこまで想像したら今の自分にもっと厳しく努力させる源になるはず。
だからカズの経験から基づく素晴らしい想像力が今の努力の源になっているのではないかと思う。
そのくらい高い意識レベルで日々努力していたら、それなりの選手になりますよ。だってここにい
るだけですでに才能が溢れているのだから。

経営も一緒、想像して一心不乱に努力すること。
私はいつも従業員が路頭に迷うようなことを想像してどんなことをしてもそうはさせてはならない、
少しでもこの会社にきて良かったと思ってもらえるようにしたい、幸せにしたいと強く頭のど真ん中
にインプットしてきました。
何も才能がない私でもその想いの強さだけでここまで20年近く経営者を務めてきました。
そんなことを強く思っていたら、、、
土下座してでも仕事をとるでしょう
プライドなんてなくなります
怠けている従業員がいたら許せません
言いたくないことも言うでしょう
頑張った従業員はとことん褒めるでしょう
そんな感じでやっていれば大化けはわかりませんが、たいがいのことは何とかなります。

究極はまさに「今日死んでも悔いのない人生」。まだこの境地まではいけませんが、そのくらいの想
いで生きたいものです。
毎晩、最後の晩餐と想いながら。
ポジティブになれる想像力をこれからも磨いて生きたい。

 

コミュニケーションの中で「あっ」「おっ」「?」「・・・」

と直感的に感じることがある

しかし、相手の言葉、雰囲気、状況によって

その直感をいい意味でも悪い意味でも思考で打ち消す

気持ち悪い感じがするのはそんな時だろう

そんな時は後悔したり上手くいかないもの

直感を研ぎ澄まし、どんな時でも正しい判断をしたいものだ