Currently viewing the category: "私の哲学"

オリンピックで前人未到の3連覇を成し遂げた柔道家 野村忠宏のトーク番組を観ていて

印象深い一言「限界を超えてこそ成長できる」。

まさに人間とは自分の力、レベルを勝手に規定しているもの。しかし、その規定

が成長を阻害していると思う。常に高い次元を見据え、限界を超えてこそ新たな領域

に突入できる。苦しい時こそ、チャンス。自分自身の限界を常に超え続けたい。

 

 

 

北野武氏の「清貧」の記事を読んで感じたこと。

医療の発達により平均寿命は戦後飛躍的に伸びた。しかし、社会保障負担や介護問題が発生している。

手紙から電話、メール、チャットなど通信手段の発達により便利になる一方でFACE TO FACEの

コミュニケーションが希薄になった。

飽食の時代の流れに比例して新たな病気が増えた。

便利なものを世に送り出すためにの副作用として汚染や温暖化、地球の異変も起こり始めた。

全ては一長一短で幸不幸も紙一重。

大切なことは自然の摂理に逆らってはいけないこと。

どんな時代であれ普遍的なものはある。

最大の普遍は、生まれたものは死ぬこと。

事業も同様に立ち上げたものはいつか滅びる。

出会いがあれば別れが来る。

夜が来れば朝が来る。

春夏秋冬、季節は巡る。

自分自身が終末にどういう心境でこの世を去りたいかを想像することが今の生き方を正す手段となる。

夢を追うことにしかり、家族をとにかく大切にしようと考えたり、一攫千金の人生を目指したり・・・

それこそが人生。人それぞれで良いのではないかと思う。

以下引用。

—————————————————————————————————————————-

今の社会は、夢を持てとか、自分らしさを生かせとか、

やたらとそういうことを子どもたちに強調する。

道徳の授業もそうらしい。

夢に向かって努力することが生きる喜びになる、なんて書いてある。

貧乏だった時代には、そんなこといわなかった。

「清貧」が、あの時代の道徳だったはずだ。

最近の道徳の教科書に、そんな言葉は見つからない。

清く貧しく美しくなんてのは、もう流行らないらしい。

節約とか節制なんて言葉もあまり見かけなくなった。

時代が変われば、道徳は変わるのだ。

だけど今の人類が置かれた立場を考えれば、

むしろ夢をかなえようなんてことより、清貧の方が大事なんじゃないの、と思う。

人間がじゃんじゃんエネルギーを消費して、地球の平均気温がじわじわ上がって、

近頃は異常気象が当たり前になってしまった。

5月に台風が来たり、気温が30度を超えたりしても、

今じゃ誰もたいして驚かない。

東日本大震災のときは、節電しないと夏を越せないとかいって、

東京の夜は暗くなった。

自動販売機が電気の無駄遣いだと目の敵にされた。

昔の夜が戻ってきたみたいで、こういうのもいいなあなんて思っていたけれど、

しばらくしたらまた元通りのピカピカな夜が戻ってきた。

節電なんて言葉もどこかへ行ってしまったみたいだ。

だけど、地球上で起きている問題の大半は、

人間があまりにもエネルギーだの資源だの食糧だのを無駄遣いしているから

起きているという事実は変わらない。

中国の14億人が、アメリカ人と同じくらいエネルギーを消費するようになったら、

地球は保たないなんていわれている。

このままではどう考えたって文明は破綻する。

現代人は今すぐにもライフスタイルを改めなくてはいけないはずなのに、

その話はいっこうに進まない。

節電や節約くらいで、この問題が解決するとは思えないけれど、

それでも解決に向けた最初の一歩にはなる。

それは誰もがわかっているはずなのに、

そういうことにはあまり真剣にならない。

節電だの節約だのは、結局のところ経済活動のマイナスになるからだ。

清く貧しく美しくを奨励されて、みんながモノを買わなくなったら、

消費が落ち込んで、経済成長率は下がって、世の中は大変なことになる。

人間は、幸せになるために生まれてきた。

じゃんじゃん消費して、経済成長して、

みんなで豊かになろうっていう高度経済成長期の幸福論は、

バブル崩壊だの、大災害だのいろんなことがあって、

いったんは否定されたはずなのだが、今も脈々と生きている。

大志を抱け、夢を持てと子どもにいうのも、そういう文脈の話だ。

なにしろその夢の見本が、スティーブ・ジョブズや

マイケル・ジャクソンだったりするわけだから。

イチローでも、本田圭佑でもいいけれど。

とにかく成功して、金持ちになって、

いいクルマだの家だの自家用ジェットだの、

なんでも好きなモノが買えるようになるっていうのが、

要するに普通の大人が普通の子どもに教えている平均的な大志や夢の中身だ。

ミもフタもない話だけど。

石川遼が出てきたときは、子どもにゴルフを習わせる親が増えた。

今は錦織圭を目指してテニススクールに通う子どもが増えているんだろう。

夢を抱けっていうのは、前向きに生きろってことなんだろう。

夢がかなうと信じて、一所懸命に勉強したり、スポーツに打ち込めってことだ。

子どもの鼻先に夢という名のニンジンをぶら下げているわけだ。

だけど、夢を持てば、誰もがスポーツ選手になったり、

大金持ちになれるわけじゃない。

お笑いの世界にも、近頃は何を勘違いしたか、

そういう成功を求めて飛び込んでくる奴らがたくさんいる。

昔は、子どもが芸人になるなんて、親の恥だった。

俺の母親は、俺が浅草のフランス座で働き出したときは、

息子は留学してますなんて近所にいってたくらいだ。

今はもう、そんなことをいう親はいない。

芸人になって、テレビでみんなに笑われるのは、

誇るべき職業ということになったらしい。

それも、芸人が儲かるっていう話が広まったからだろう。

実際に儲かっている芸人なんて、それこそ一握りでしかないのに。

夢をかなえた、ごく一握りの人にスポットライトをあてて、夢を見ろと煽る。

宝くじの宣伝と同じ程度の話なのに、学校の教師までが、

子どもに夢を持てなんていっている。

世の中に余裕があるから、そんなことをいっていられるのだ。

夢に向かって頑張っていた子どもが、

挫折してフリーターになっても、なんとか喰っていける世の中だから、

夢を追いかけろなんて無責任なことがいえる。

「飢え」というものを体験した世代はもうほとんどいなくなった。

昔はそんなに甘くなかった。

ちゃんとした職業に就けなければ、

路頭に迷うんじゃないかって親は心配したものだし、

実際そういうことはいくらでもあった。

そういう時代には、誰も夢を持てなんていわなかった。

というより、うっかり夢を語ろうものなら、親に叱られたものだ。

「医者になりたいだって? 何いってんだ。

お前はバカだし、ウチにはカネがないんだから、

なれるわけないじゃないか」

「画家になりたい? バカヤロウ!

絵描きで飯が喰えるわけがねえだろ」

頭をひっぱたかれて、それで終わりだ。

夢なんて追いかけてないで、足下を見ろというわけだ。

乱暴だけど、それが庶民の知恵だった。

今なら、子どもの可能性を潰す悪い親ってことになるのだろうか。

もしほんとうにその子に医者や画家になる意志と能力があるなら、

そうやって頭を叩かれながらでも医者や画家になるだろう。

ほんとうにやりたいことがあって頑張っている奴を否定するつもりはない。

成功しようがしまいが、それがそいつのやりたいことであれば、

思う存分にやればいい。

だいたいそういう人間は、

夢を持てなんていわれなくてもやり遂げる。

夢を追いかけるといえば聞こえはいいけれど、

それはつまり輝ける明日のために今日を犠牲にするということだ。

ほんとうのことをいえば、人も羨むその「輝ける明日」なんてものは、

いつまで経ってもやってこないというのに。

人がほんとうに生きられるのは、今という時間しかない。

その今を、10年後だか20年後だかの明日のために

使ってどうしようというんだろう。

昔はそういう人間を、地に足が着いていないといった。

夢なんかより、今を大事に生きることを教える方が先だったのだ。

まだ遊びたい盛りの子どもを塾に通わせて、受験勉強ばかりさせるから、

大学に合格したとたんに何をすればいいのかわからなくなる。

夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、

生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。

俺は心の底からそう思っている。

どんなに高いワインより、喉が渇いたときの一杯の冷たい水の方が旨い。

お袋が握ってくれたオニギリより旨いものはない。

贅沢と幸福は別物だ。

慎ましく生きても、人生の大切な喜びはすべて味わえる。

人生はそういう風にできている。

そんなことは、誰でも知っている。

だけど、そんな大切なことも教えないで、夢を追いかけろという。

頑張って勉強して、スポーツやって、起業したり、

有名人になったりしなければ、幸せになれないと脅す。

そうしないと経済成長が止まって、大変なことになってしまうからだ。

だけど、大変なことになるのは、いったいどこの誰だろう。

少なくとも、清く貧しく美しく生きている奴ではない。

 

こんな記事をみつけた。こういう逆境で奇跡を起こせるのは偶然ではないのだろう。
記事にある通り「本当の覚悟が奇跡を起こすのだと思う」
ポイントは「本当の」。中途半端な覚悟ではだめ、心底腹を決めるというか命がけとい
うかそういうレベルの覚悟。私の好きな言葉だが、「何が何でも」もその一種。
そこまでの覚悟で事にあたる時、紆余曲折があっても事は成せる。そのプロセスで情熱
が伝わり、信頼を勝ち得て、人々の心に灯をともすのでしょう。
喋る、説明、示すだけではなく経営者として社員の灯をともしたいものです。

「明蓬館高等学校 陸前高田キャンパス

来年4月のキャンパス開設に名乗りを上げて下さったのは、地元陸前高田の八木澤商店の河野社長です。

津波で本社と工場のすべてを流されたにもかかわらず、震災翌日には避難所に社員を集め、雇用を守ると宣言。

醤(ひしお)が奇跡的に生きていることを確認、商品復活、工場稼働を実現されました。

魂の経営者が当校のパートナーに加わる。

逆境や失意のときに自らを鼓舞し、他人の心に炎をともせる人。

その生き様、言動、足跡がそのまま圧倒的な教育資源。

生徒への眩しいばかりの波動が楽しみで仕方がありません。

求人難に悩む被災地の企業や経済界に役立つ人材を輩出する通信制サポート校になるでしょう。

凡庸な教師は喋る。良い教師は説明する。

優れた教師は示す。偉大な教師は心に火を付ける。

ウィリアム・アーサー・ワード

月刊 致知 12月号より」

 

日本電産社長・永守重信氏の言葉より

――年中無休ということですが、1日のサイクルはどういうふうな日課ですか

だいたい朝は5時50分に起きます

そしてすぐにシャワーを浴びて
6時から15分間ビジネスニュースを見ます

それから食事をして、服を着て
6時40分に迎えの車が来ます

朝早いですからラッシュアワーにかからないので6時55分には会社に着きます

もう20分遅いと
会社まで4、50分かかりますよ

世の中
何故ラッシュアワーが起こるかというと
9割の人が普通のことをしているからです

わずか10分か15分
普通より早く行動することで
全然違う世界があるんです

ところが
人間ほとんどが一緒のことをするんですね

――それがわかるか、わからないかの差であると

そうです

だからうちの社員にはよそよりも
10分早く来いと言います

その10分を早く来られる人間は
世の中の10パーセントなんですね

それが意識の差なんです

人間の能力の差なんていうのは
最大五倍くらいしかないですよ

知能とか知識とか経験とかはね

しかし意識の差は百倍あると私は言うんです
それさえ頭に入れておけば、
どんな人間でも成功できる

――ああ、能力の差は五倍だが
意識の差は百倍だと

ええ東京に出張したときのことです

取引先の担当者に
繁盛しているというラーメン屋に
連れていってもらったことがあります

外観はごく普通のラーメン屋でしたが
私たちが店の前に立った途端
中にいた若い店員がぱーっと
入り口まで走ってきてドアを開け
「いらっしゃいませ」
と大きな声で挨拶をするんです

そして席まで誘導してくれて
私たちがラーメンを注文すると
大きな声で調理場にオーダーを伝えてから
人なつっこい顔で
「お客さんは関西から来られたのですか」
なんて話しかけてくる

私たちと話している間も入り口に気を配って客が店の前に立つと飛んでいく

ラーメンはごく普通で、味で繁盛している
というわけではないんですね

つまり、他店と同程度の料金で
五倍おいしいラーメンを作ったり
五分の一のスピードでラーメンを
出すことはまず不可能です

しかし店員の意識を変えることによって
お客の気分を百倍よくすることは
それほど難しいことではない

この店が繁盛しているのは
ズバリ店員の意識の高さなんです

おそらくこのラーメン屋の経営者は
ラーメンの味にこだわる以上に
店員の意識改革に
こだわっているのだと思います

私の人材に対する考え方も
これとまったく同じです

能力の高い人を採用するというよりも
人並みの能力を持つ人材を採用して
彼らの意識を高めることに全力を傾注します

私の尊敬する永守社長のエピソードですが、まさにその通り。社長や役付の
方と話すと自分の会社にはいい人材がいない。もっといい人材がいれば・・・と
いう話が必ず出てくる。
しかし、余程の人でなければ、つまり人並みの能力があれば、熱意をもって成長さ
せたいと本気で向き合っていけば意識を変えることは出来る。意識が変われば行動が変わる。
行動が変われば結果が変わる。
そういう意味でも成功の源泉は意識。意識を高めることができるかどうかが経営者の手腕
なのだと思います。
この意識を高める経営者のアプローチは人それぞれですが、ゴールは経営者とスタッフとの信頼
関係でしょう。

 

会社経営に必要な強みは「総合力」であるべきだと思う。

販売力、技術力などあるものだけに依存していたのでは脆い。持続的に成長

可能な組織になるためには、トップにリーダーシップがあり、企業理念がしっ

かりし、実行力がある。

そのうえで、販売力もあり、スタッフの心も優れ、人間関係も素晴らしいなど

多面的に優れている企業。また、そういう組織作りを経営者は目指すべきだ。