昨年の6月に世界遺産に選出された「富岡製糸場と絹産業遺産群」。行ってみたいとは思っていたがしばらく混雑しているだろうなと避けていたがようやく今日行ってみた。思っていたよりも人は少なかったかな。

明治5年、殖産興業政策として輸出品の要であった生糸の品質改良と大量生産の模範工場としてスタートした。なぜ富岡か・・・養蚕が盛ん、広い土地あり、外国人指導者に住民が合意、水が確保できる、燃料の石炭が近くの高崎から手に入るなどなどだったそうだ。

まさにフランス人の建設設計者としてポール・ブリュナなど10名ほどを雇い入れた。そして、日本中から15歳~25歳の若い女性(技術伝習工女)が募集され技術習得してそれぞれの地元で指導者として活躍していった。

明治維新後、世界に追いつくためにも国を豊かにしなければならない。海外の優れているものは学ばねばならないという情熱のようなものを感じることができる場所だった。

駐車場はたくさんあるけど臨時駐車場は遠いので要注意。入口からノスタルジックな世界が広がる。

無料のボランティアガイドが30分に1回くらいの間隔で出ているのでそこに参加40分位で全体を理解することができる。

東繭倉庫。壁はフランス式のレンガ造。

東繭倉庫の入り口には、「明治5年」歴史を感じる。

女工館。糸取の技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居として建設された。

操糸場。

小屋組には「トラス構造」という従来の日本にはない建築方法を採用していた。当時、フランス式の操糸器300釜が設置された世界最大規模の製紙工場だった。

ブリュナ館。320坪。フランス人指導者ブリュナの住居。女工館といい日本人との待遇の違いが凄い。高給で日本政府が雇い入れていたことがわかる。なんと当時の総理大臣と同等だったらしい・・・。進歩のためには金にはいとめをつけないことがうかがえる。

敷地の裏の景色。

寄宿舎。

 

 

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