バンコクの日本人の生活状況を探るため様々な角度から調査した。日本人の生

活している数は、公式では5~6万人と言われているが、10万人くらいいるので

はないかと現地の経営者の方が言っていた。また、日系企業をターゲットにして

いる派遣会社の社長の話では契約している会社で6000社。当然他にもあるの

で7500社位は進出してきているのではないかと話していた。また、大手ではな

く中小だけでなく零細が増えているようだ。

また、日本の市場は飽和の上、下降気味だが、タイはまだまだ大幅に成長してい

るので日本からも起業を目指してやってくる人は増えているようだ。不動産はここ

3年で1.5倍近く上昇して物価も徐々に上がってきているのも国力が上昇してい

る証拠だろう。

仕事については、日本企業として駐在に来ている方たちは待遇がいい。会社で

高級なアパートに住み、車も用意され、学校の費用もでる。この方たちは日本で

の給与をベースにもらっているので生活も楽だろうし、逆に物価が安いので貯蓄

も進むだろう。しかし、現地採用の日本人はまったく状況は変わる。

メーカーや工場が多いので、そのような会社での経験や生産管理などの特殊経

験を積んでいるか、公認会計士や税理士はすぐに仕事がそれなりの給与で見つ

けられるようだが、経験値が少なく、サービス業だけで手に職がないとあっても営

業職で月5万バーツ(15万円位)しか稼げない。会社に頼らず自力で行くことを

考えるなら起業がいいだろう。少なくとも小資本で、飽和した日本ではなく成長市

場で挑戦するのは魅力的なことだ。では何をすればいいのか、一つのキーは「日

本で流行っているものは流行る」と現地の経営者は言っていた。あまり新しいこと

を考えるより、同じものでもまじめにやればなんとかなるとも言っていた。つまり一

昔前の日本だ。あまり先を行きすぎない方がいいだろう。

住居は駐在などは家賃5万~9万バーツのところが一般的。日本円で15万から

27万くらい。想像しているより高い。しかし、部屋は大きく小さくても120へーベ

ー。普通に200へーベークラスのところに住んでいる。まったく贅沢だ。不動産を

通してもこちらは手数料というものがないのは魅力的だ。敷金もデポジットとして

2カ月分。退去するときにクリーニング代を除いてほぼ戻るし、家具などもどこも

完備されているので比較的引っ越しはしやすい環境だ。現地採用で自力で生活

している人たちは、1万から3万バーツは普通。格差は大きい。

物価はこのフジスーパーでチェックすると、卵1パック68バーツ、納豆2パック74

バーツ、カール22バーツ、おにぎり40バーツ、米5k282バーツ、日経新聞100

バーツ。X3で考えればよいのだが、ほぼ日本と同じものもあればかなり高いもの

もある。現地の人に言わせれば日本のものは3倍すると思っておけばいいよう

だ。

そして、ここはタイ人が親日なので生活するにはいいところだろう。また、魅力と

しては、ゴルフは平日なら1500バーツくらい。週末は1.5倍位になるようだが。

周辺に魅力的な国もたくさんあるので旅行するにも便利なことだ。

 

朝は散歩でスタート。シンガポールのチャイナタウンには中国的なチャイナ

タウンとイギリス的な西洋風なチャイナタウンの2つの顔があった。

ここは以前にどこにでもあった屋台を集合化したハッカ。チャイニーズからインド

料理各国の屋台が集積している。値段も安いし選択できるので朝は朝食をとる

人々でごった返していた。

私は相変わらず中華を選択。値段もこれで7シンガポールドル。

これはMARINA BAY SANDS。建物はホテルと下はカジノになっている。

ショッピングモールも同居して多くの人で賑わっている。上は船の形をした

スカイウォークになっている。

お約束のマーライオン。さすがにこの回りは観光客で大混雑。

マリーナベイは、せき止めて人工的な淡水湖になっている。近代的なビルも

無数に立ち並ぶ。日本でいうとお台場のようなところだ。

MARINA BAY SANDSのスカイオォークに行ってみた。57階の景色は流石に

素晴らしい。シンガポールは赤道直下なので風があまり吹かず湿度も高いので

辛いが、この高さに来ると微風だが心地よい。遠くにはインドネシアも見える。

海とシンガポール川の間にあるダムで船は入れないため周辺の海には無数の

船が停泊している。日本に運ばれる石油もここを通ってくる。

57階のスカイウォークにはこのホテルゲストのためのプールもある。気持ち

よさそうだが、プライベート感がない。

せっかく素晴らしい景色を見ているのだからシンガポールスリングで乾杯。

完全にミーハーだがまあ自己満。店員はほとんどフィリピン人の女性。労働

許可をとって出稼ぎに来ている。歩いていてもいたるところで工事をしているが

工事現場の働き手もインドネシア人やバングラディッシュ人やマレーシア人。こ

の国はとにかく大変な仕事は海外の労働者に頼っている。日本も同じだが。

セントーサ島へ移動。タクシーで15分位でいける。以前は緑の多い自然色豊

な場所だったそうだが、今はユニバーサルスタジオやカジノやショッピングモー

ルもあり女性や子供が楽しめる場所になっている。しかし、規模は小さく日本

人や西洋人には満足度は低いと思う。実際にはしゃいでいるのはマレーシア

人やインドネシア人中心。西洋人は少ない。

ここには大きなマーライオンがいる。

セントーサ島からシンガポールまではゴンドラで移動。

わずか5分ほどで到着。

上空から見たセントーサ島。まさにテーマパーク。

いよいよ10泊の東南アジア5カ国周遊の旅が終了。このブログもチャンギ

空港で書いている。改めてアジアンパワーを思い知らされた。シンガポールは

ビジネスにはいいかもしれないが正直暮らしずらいところと感じた。カンボジア

はまだまだ粗削りだが将来のポテンシャルを感じる。マレーシアは資源も豊富

なためさほどがつがつしなくても生きていける余裕というかこのままあまり発展

も後退もない出来あがった国という印象を受けた。やはり総合するとタイがビ

ジネスにも生活するにも快適な気がする。食事も美味く。物価は全般的に安い。

人々もフレンドリーでビーチリゾートもある。東南アジアのハブはやはりここだ。

 

マラッカの朝はスコールで始まる。局地的な豪雨のあとはカラッと晴れる。

歩けば歩くほどなかなか味のある街だ。また、数百年時が止まっているよ

うな懐かしさがあり過去に思いをはせるとタイムスリップしそうな不思議なと

ころだった。

ここは宿泊したゲストハウス。ロケーションもよくなかなか良かった。

ランチはお約束の中華で、鶏肉のボイル。シンプルだが好きな味だ。

午後2時のバスに乗る予定で1時半前に到着したが2時のはなく1時半発

だった!慌てて切符購入してバスに乗り込む。

この旅最後のバスだが室内は広く快適。トイレがあればもっといいのだが。

マラッカからまずはジョホールバールを目指すのだが、ハイウェイの両サイド

はプランテーション畑が続く。ゴムや油などの資源豊富な国というのが頷ける。

3時間かけてマレーシアのイミグレーションに到着。ベトナムとカンボジアの

国境と違い近代的だ。

マレーシアの出国審査を終えてシンガポールの入国手続きに向かう途中、

コーズウェイにパイプラインがあった。何かと思ったら水をマレーシアからシ

ンガポールに運んでいるらしい。この水はシンガポールの生命線。

シンガポールの入国手続き。

バス停で降ろされ再びチャイナタウンへ。やはりシンガポールは物価が高い。

ホテル代も大幅に上がるうえ、チェックインが23時。深夜便が多くレイトチェッ

クアウトする客が多いらしい。仕方ないので7時から時間を潰すことになった。

またまた中華。

地下鉄でクラークキーへ。いわゆるシンガポールのデートスポット。近代的な

場所だが今まで訪れた場所とのギャップが激しく違和感がある。

この国も日本同様何処へ行ってもWIFIが使えない。仕方なくスターバックスに

行ったら、コーヒーをオーダーして携帯電話番号を伝えてパスワードをメール

で送信する。あまりに面倒なのでやめてしまった。その上、街の至る所に監視

カメラが設置されている。シンガポールでは独裁政権に完全にコントローされて

いるようで不愉快になった。自由度のない国に魅力はない。

日本からもたくさんの金持ちが資産を移して所得税を逃れたりしているが、華僑

の客家が金に物を言わせて動かしているこの国は、金・金主義で居心地良さが

ない。

また、タバコの吸い殻一つないクリーンなイメージを持っている人も多いと思う

が、まったくそんなことはない。路上には灰皿はあるし、そこらじゅうでポイ捨て

された吸い殻が路上に捨てられている。基本的にはタブーの性風俗産業もオー

チャードタワーはビル丸ごと性風俗タワーだ。まさに動物園。ここまで国の政策

の建前と現実が違うのも金・金主義の独裁だからだろう。

昨今はカジノが出来て海外からの渡航者が増えているようだ。観光的な魅力が

少ないところだからこういうものを作らないと来ないだろう。東京では石原さん

がやりたがっていたが、カジノは人を集めるには有効だ。

 

8時半出発のフライトを予約していたので7時にはホテルを出る予定だったが

なんと7時に目が覚めてあわてて準備をし15分には出発した。もちろん移動

はトゥクトゥク。街を歩いていると3分に1度は運ちゃんに「トゥクトゥク サー」と

声を掛けられていたのでうるさかったが最後と思うと寂しい。空港までは15分

で5ドルが相場だ。

空港はこじんまりしていて飛行機までは徒歩で行くことになる。エアーアジア

を今度も利用したが、とにかく機内が寒い。珍しく8時半のフライトなのに20

分には出発した。今まで時間より早く飛んだ経験はなかったのと、2時間かか

るところが1時間半で到着とまあアバウトだ。エアーアジアは安いだけあって

空港のはずれ、昔の貨物機のところに降ろされるので入国審査までかなり歩く

上に審査が米国並みに厳しく40分は並んだ。

空港に到着すると友人の友人の中華系マレーシア人親子が迎えに来てくれた。

今回はクアラルンプールは通らず南下してセレンバンという街へ。空港から40

分程のところにあるが、道中はパーム油のプランテーション森林が続く。なんと

日本人があまり住んでいないこの地にジャスコがありここでランチ。マレーシア

でジャスコのフードコートで食事するとは思いもよらなかった。

食事のあとは友人宅に行ってバスの時間まで休ませてもらった。父はプランテ

ーション、母はこのパン屋さん。息子はニューヨークで医者。こんな田舎町の家

族だが皆立派だ。英語、マレー語、中国語を使いこなす。植民地時代と移民に

よる混血人種が多いので複数言語を使いこなすのは当たり前。過去の日本同様

純血による人種差別的なものは今も残るが、それがハングリー精神を生み、語

学を使い努力したものはどんどん海外へ飛び出していく。混血ハイブリッドが

オープンな力強い生き方をすることは確立として高そうだ。非常に日本と真逆の

スタイルのため生き方において参考になる。

セレンバンのオールドタウンのバス乗り場から3時半出発。なんとこの友人

はランチ代、バス代まで持ってくれた。ここには日本的な要素がある。わざわざ

遠くから訪れた客人にはとことんもてなす。また、姿が見えなくなるまで手を振

っていたのには感激した。とにかく人が良く、遠く日本から離れた場所で心が温

まった。

バスの中は飛行機同様にとにかく寒い。マラッカまでは2時間弱のバスの

旅。マラッカには中央バス乗り場のような大きなターミナルがありそこまで

行き、ダウンタウンまではタクシーになる。

今度のホテルはリバーサイドで眺めもいい。ここ数日続いていたレベルからは

少しだけランクアップして約1泊35ドル。

マラッカは、500年ほど前の帆船の時代にポルトガルやオランダ、イギリスなど

が交易に使っていた古い港町だ。よってアジアにあってコロニアル調のヨーロ

ピアンスタイルの建物が全般的に多いが、チャイナタウン、リトルインディアも

隣接しており、国、宗教を超えて様々な文化が共存した街だ。日本だと長崎に

近い気がする。なかなか雰囲気のある裏道がたくさんある。

リトルインディアの建物の周辺には花をたくさんつけた派手な自転車タクシー

が多数待っていた。今はローシーズンなので人はまばら。

古臭いタワーに6ドルで登ってみた。回転しながら上がるのだがちょっ怖い。

この景色はマラッカ海峡。向こう側がインドネシア。昔から海賊で有名な海峡

だ。

タワーから眺める景色はやはりヨーロピアンなかわいらしい色の屋根がたくさん

ある。

夜の路地裏。

チャイナタウンの中にヒンズー教の寺院がある。この辺が平和的に宗教が

共存するこの地の素晴らしいさ。仏教とヒンズー教が共存していても違和感

がない。

夕食はチャイナタウンで。オフシーズンということもあり店を閉めていることをが

多かった。

タイでシンハー、ベトナムでタイガー、カンボジアでアンコール、そして何故か

マレーシアではカールスバーグ。まあ正直ビールならなんでもいい。

早い話がもやし炒めとチャーシューとごはん。チャイナタウンはどこで食べても

美味い。旅行先で困ったら宿も食事もチャイナタウン。

 

今日はトゥクトゥクの運ちゃんをチャーターして終日観光することに。

1日チャーターでちなみに12ドル。朝8時半出発し、10分ほどで切符

売り場に到着。

1日チケットで20ドル。決して安くはない。

とにかく広いアンコール遺跡なので効率的に見たいところを決めて動かないと

きりがない。そうこうしている間にまたしてもスコールに。

切符は一応写真まで入り、各箇所に入場する際に提示を求められる。

そもそもアンコール遺跡は、9世紀から13世紀に栄えたアンコール王朝の

王都で東京23区に匹敵する大きさ。12世紀初頭にスールヤバルマン2世

によってアンコール・ワット、ジャヤバルマン7世がアンコール・トムが造営さ

れた。ついにはインドシナ半島全域にわたる大帝国を築き上げたが、13世

紀以降に内紛やシャムのアユタヤー朝との戦いで衰退。19世紀にフランス

人に発見されるまで、世界史の表舞台から消えていた。ちなみにアンコール・

ワットとは「寺院(によって造られた)街」という意味。

アンコール・ワットはヒンドゥー教三大神のビシュヌ神にささげられた寺院で

ヒンドゥー教の影響が色濃く見られる。神秘的な雰囲気に圧倒されてしまう。

タ・プロームでは、巨大なスポアン(カジュマル)の根が遺跡を包み込んでい

るように浸食しているため、大規模な自然の力により最も損傷の激しい遺跡

になっている。

崩壊した石には番号がふられている。これらをコンピューターによる3Dで

立体化してパズルのようにつなぎ合わせ復元していく。気の遠くなるような

話だ。古代の文明にも驚くが現在のテクノロージーの凄さも負けてはいない。

しかし、考えてみればいたちごっこで復元しても自然の力で再度崩壊される

のだろう。

何処に行っても子供たちが物売りをしている。「1ダラー、1ダラー」すべて

が1ドル。この国の英語の教科書は、1ダラーから始まるのではないかと

いうくらい。日本のThis is a pen.よりは実用的で生きた英語だ。生きるため

の語学習得は気合いが違う。

アンコール・ワットには猿までいるのだ。もちろん、像もいるし、馬もいる。

像には乗ることもできる。

これは裏側からの写真。

アンコール・ワットの表から。よくある絵だが、あまりにも大きいためヘリか何

かで上空から見ないと全体像は全くつかめない。

続いて、東南アジア最大のトンレサップ湖へ。この湖は雨季になると水量が

まし面積が琵琶湖の10倍にもなる。そのため、周辺の住宅は高床になって

いる。しかし、こんな柱で耐えられるのか心配。

乗車券を20ドルで購入して乗船。国連が入って自律的な経済発展を支援

している関係で2大観光資源にたいする費用は高めに設定されているのだ

ろう。

遠くベトナムのメコン川から繋がっている湖なので水は汚い。しかし、子供

達はお構いなしで泳いでいる。たくさんの観光客が船で行き来するがほとん

どが韓国人。ソウルから直行便を飛ばし、観光客を誘致し、ビジネス界からの

投資も進んでいる。韓国はタイで進出が日本勢などに後れを取った分、カンボ

ジアは早めにポジションを確保に動いているのだろう。

なんと海の上に学校まであるのだ。この湖にはたくさんのベトナム人が海上

で生活をしている。しかし、この学校は完全に観光資源に利用されているよう

で子供たちを思うとどうかと。しかし、少なくとも学べる場があることはいいことだ

が。

観光客の船がくると小舟で近づきすかさず物を売る。一瞬のスキでジュース

を持った子供が飛び乗ってきて「1ダラー」が始まる。ここまでくると海賊に襲わ

れるような気分だが、下手なボランティア団体などに寄付するくらいなら、実際

に目の前で買ってあげたり寄付する方がよほど現地の人たちは喜ぶだろう。

なぜなら、団体の運営費やわけのわからないものに消えていくこともあるだろう

から。

こんなふうにベトナム人の船上生活は行われており、雨季で増水すると

場所を移す。海上のジプシーのような人たちだ。船上にボートを治す工場の

ようなものもあり、一通り皆で生活を支えあえるようにはなっている。

湖の周囲は、広い湿地帯になっており雨季にはすべて水に浸ることになる。