私の中で最近気になっている歴史上の人物がいる。伊能忠敬その人である。江戸時代にはじめて日本地図を正確に作り上げたことは皆知っていると思うが、私がこの人物に惹かれる点が2つある。

1つ目は、元々は本人の意志ではなかったにせよ、50歳を過ぎてから地図作成の旅に出たこと。幕府からたいして予算もつかず持ち出しの状態にあったにもかかわらずだ。なんと70歳までの20年間近くこの大仕事に携わる。すごいのは50歳になってから新しいことにチャレンジするそのバイタリティーだ。平均寿命から考えれば当時の50歳というのは現在の70歳位に相当するだろう。ということは90歳頃までやっていた・・・。現在の高齢化社会を迎えた日本でこの生き方は大いに参考になるし励みになる。何かに挑戦することに遅すぎることは無い!

2つ目は、17歳で伊能家の婿養子にきてひたすら働き、店の売上げを3倍に伸ばしたらしい。そして、49歳で引退し、50歳で江戸の天文方高橋至時に入門する。ここで19歳年下の至時に謙虚に暦学を学ぶ。すごいのはこの若い先生に隠居したも同然の年の忠敬が弟子入りして日々努力する姿勢だ。それなりに事業も成功して地元では既に有名人であった人物ならばプライドもあったであろう。

成し遂げた事業も偉大だが、人生を謙虚に完全燃焼するその生き様こそ私は惹かれる。

記念館の周辺は、江戸の雰囲気が残る風情ある町並みだ。しかし、ところどころに震災の影響で崩れかけている古い建物を見ると残念だ。

 

娘が体調を壊し今朝の林間学校のバスに乗れず。1ヶ月も前から楽しみにしていたのに本当に残念。2泊3日の富士周辺の旅なので2日目から合流すればいいかと考えていたが、何と午後から驚異的回復。やはり参加したい気持ちが自然治癒力を高めたかーー。多少の微熱はあるものの思い出が大事と車飛ばして2時間半かけて山梨までやってきた。途中、クラスの仲間と合流して満面の笑み。ほーー、良かったー。親ばかだなー。しかし、おかげさまでこんな美しい富士山に逢うことができた。

せっかくここまで来たのでそのまま帰るのはもったいないので河口湖へ。2年ぶりくらいの河口湖だが、平日ということもあるだろうが人が少なく廃れた感があった。お店もお土産やさんは辛うじてやっていたが、レストランや喫茶店は一つもやっていなかった。しかたないので信玄餅をお土産にゲット。久々の近場のショートトリップ。最近は遠出の旅が多いのでこんな気軽な旅もたまにはいい。

 

6月19日今日は父の日。二人の娘も12歳と10歳と大きくなったが流石に女の子はこんなことをしてくれる。子供なりに感謝してくれているようだ。このブログを読めばわかる通り私はいつもどこかを旅している。友人からは家庭は大丈夫か?子供は心離れていないか?生活感無さすぎと言われるが、何とか人並みには関係を保っているらしい。逆にこちらが子供に感謝!

子供達が小遣いで甚平とホームステテコをプレゼントしてくれた!それも感謝の気持ちが満載の手紙付き。嬉しい~。照れくさいし、目頭も熱くなる。なんとそれぞれが手紙を朗読してくれるのだから。将来の披露宴を想うと。。。娘はやっぱりかわいい。

 

CIVIC FORCEを通して募金活動をしている人間として、実際に被災地は震災から3ヶ月が経過してどのような状況で、ボランティアや自衛隊の方達がどのような復興作業をして避難生活している人たちがどのような不自由な環境の中で生活をしているのかをこの目で確かめたく仙台入りした。

新幹線「はやて」はほぼ満席で驚いた。また、昨晩、仙台の繁華街を歩いても人でごった返していて決して元気が無いという雰囲気は無かった。直接津波の被害を受けているわけではないので仙台市は最悪の状況は逃れている。ところどころに瓦が壊れブルーシートで覆っている家もあるがこの程度なら関東でも見られるレベルだ。

まず最初に向かったのが、松島。過去に何度も訪れたことのある地だ。言わずと知れた日本三景の一つである松島の絶景がどうなっているのか気になっていた。260もの島々からなる松島海岸の絶景は健在だった。第三仁王丸にのって17km、50分の遊覧を楽しんだ。当然津波があったところだけに今ここで地震がきたら・・・と一瞬不安がよぎるがすぐにいつもの「それもまた運命」と頭を切り替え、風にあたり、餌付けされたかもめと遊び、島々と牡蠣の養殖地を眺めていた。海は何も無かったような雰囲気だが陸地になると状況は変わる。本来であれば観光客で賑ぎわうお土産やさんなども殆ど改装などで店を閉めている。瑞巌寺も人はまばらだった。現在、本堂が改装中なため本来見ることが出来ない庫裡、大書院などを見学できた。伊達政宗のお位牌も間近で見られる。

レンタカーで北上し被害の大きかった石巻を訪ねた。湾岸の工場は殆ど壊滅状態で復興の目処がまったくたっていないと感じた。道路も湾曲しており走りづらかった。当然のことながら何度もテレビやネットで目にしていたためある程度想像はついていたが、その想像をはるかに超える世界がここにはあった。正直こんな状況を見せられたら自分はここで今後も暮らそうとは思えない。さっさと脱出したいと思うだろう。立ち尽くすだけで何も出来ない。既に3ヶ月も経過しているわけだからこれでもだいぶ瓦礫の処理なども進んだと思う。それでも衝撃的だ。自衛隊の災害対策隊の方々、信号がいまだに動いていないので交差点に立つ警察の方々、家々を回って作業をしているボランティアの方々の努力には頭が下がる。正直、写真では伝わらないが現場はかなり空気が悪い、破壊された工場の影響もあるだろうが、下水の匂い、時折異臭もする。長時間いると気分もめげるし、悪くもなる。マスクなしではいられない。

改めて津波の威力を思い知らされる。海岸線から内陸に走って津波の影響を受けていない場所まで移動したが相当の距離があることがわかる。現在の惨状から3.11の津波と言うのは想像を絶するもので、高台に逃げろと言って逃げられるようなものではないことはすぐにわかる。私が訪れたのは今回の震災のほんの一部だが、これが三陸沖、福島、茨城までと想像すると東北を中心にどれだけダメージを受けたかは想像に難くない。単発ではなく、継続的な支援が必要になるだろうし、これからの復興の青写真を安全対策の面から厳しく深く議論する必要がある。

避難所になっている学校も訪れたが、仮設の風呂やトイレ、炊事所などが出来て最低限の生活が出来る環境は整っているが、教室内に複数家族が同居し洗濯物も干されていて不便な生活は見て取れる。早く仮設住宅なり家族だけで落ち着ける場所に移動できることを心から願わずにはいられない。

仙台空港も津波に飲まれた場所だ。比較的早い復興を遂げたので周辺がどのような状況なのか見学した。海岸から空港まではかなり近いので、石巻の感覚と比べても当然被害の大きい距離感にある。空港は何とか復活しているが、海岸から空港までの間の被害は大きい。松島、石巻、名取そして三陸自動車沿いに広がる被災地を見て地震ではなく津波の脅威に尽きる。自然の猛威には人間の抵抗などまったく通用しない。自然災害が増加している世界全体が抱える問題だが対策と言うことになると答えを出すことは難しい。

最後に、勝手に自身のブログに写真を掲載することに抵抗があったが、現地を訪問した目から写真とコメントをミックスさせたく掲載させて頂きました。誰に了承を取るものではなく倫理観の問題であり不愉快な思いをされた方がおりましたらお詫び申し上げます。また、今回の震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

最後に、大好きな青葉城から仙台市内の風景を眺めたく訪れた。ここから見る景色はいつもと同じだが、この市内の向こう側に広がる現実に心が痛む。伊達政宗もさぞかし心痛めているだろう。

 

地元の友人に連れられていったがとにかく絶品です。また、次回仙台に行ったら

必ずいきたい店。

このたたきが。

http://r.tabelog.com/miyagi/A0401/A040101/4000039/