1ヶ月に及ぶ家族同伴の旅もオーラス、沖縄旅行。3泊4日の滞在だったが、心配していた台風にもあたらず、天気にも恵まれラッキーだった。この1年で、広島、長崎、知覧など日本の戦争に翻弄された主な地を訪れてきたが、いよいよ地上戦の舞台となった沖縄。こんなに空が青く、エメラルドグリーンの海が広がる美しい島で、60数年前にこんな悲惨なことが起こったとは信じ難った。

ひめゆりの塔では、戦争の悲惨さを風化させないため、後世に語り継ぐためにひめゆり同窓会の方々の努力で立ち上がった「ひめゆり平和記念資料館」を見学した。国を守るため命をかけて戦い、本土からの援軍も期待できなくなる中で、仲間が次々に殺害されていく、、、米軍の進軍が続き逃げ場を失う中での突然の「解散命令」。解散後のほうがたくさんの学徒達が亡くなった。逃げ隠れ、洞窟に手榴弾を投げ込まれ、降伏することが非国民として許されない状況とはいったいどんな心境だったのか。想像さえも出来ない程恐ろしい。

どうして、もっと早く終戦にしなかったのか、、、原爆の犠牲、東京大空襲。知覧の特攻隊で亡くなった青年達、沖縄の地上戦の犠牲になったひめゆりたち。すべて、終戦の半年前頃からの出来事。最後の抵抗がいかに悲惨な事態を招いたか。そもそも戦争がいかに愚かで悲惨でむごい事かと心が痛むしかなかった。

平和祈念公園。沖縄戦終結の地であり、平和の礎や国立戦没者墓地などがある。墓地には沖縄戦で亡くなった12万人にも及ぶ沖縄の犠牲者の名前が刻まれている。皮肉にもここから眺める海の景色は素晴らしい。

世界遺産、斎場御嶽(セーファうたき)。琉球王国の聖地でかつては琉球国王も参拝したと言われている。

神の島、久高島に向かい祈りを捧げた。

ここはスピリチュアルスポットでもある。

ニライ橋カナイ橋。高低差100メートル、全長660メートルの連絡橋。ここから眺める景色は絶景だ。

世界遺産の首里城公園。1時間程でざーと眺められる。かなり中国の影響を受けている印象を受ける建造物だった。中国の影響を受けた韓国の建造物とも近い。とにかく石垣の高さや急な斜面、造りを目の辺りにすると難攻不落という感じ。しかし、近くで見るよりも夜に遠めからライトアップされている首里城を見るほうが幻想的でいいかも。

 

今回の帰省ほど30年という月日を感じたことはない。およそ30年前に実家は建った。私が小学校4年生くらいで父は現在の私と同じくらいの年齢だった。働き盛りで、商売も軌道に乗り、ようやく自宅兼お店をオープンさせたのだ。その両親も惜しまれながら昨年商売を引退し、孫との生活を満喫している。その実家が古くなり、お店部分も不要になったのでリーフォームをしていた。30年で一つの区切りとなる。15歳まで育った実家が姿を変えるのは嬉しいような寂しいような複雑な心境だ。しかし、両親の新たなスタートと考え前向きに捉えたい。

そして、この当時よく行った瀬波温泉や近所の川で子供達と遊んだ。その時に懐かしい、およそ30年前、昭和57年8月6日に父に買ってもらった水鏡が出てきて娘がそれで魚を追う。私と父、そして、私と次女、ともに歳の差30年。親父、私、娘、3代で30年という歳月を皆で感じた不思議な時間だった。

リフォーム中の実家

小さいころに行った瀬波温泉とよく食べたとうもろこし

懐かしの水鏡。父がマジックで書いた私の名前と住所と購入日。

 

 

高校時代に山形で生活していて、地元から100キロ程度の距離なのに今まで訪れることがなかった酒田。「おしん」や「おくりびと」の舞台で有名になったこの街に最近ふと行ってみたいと思うようになって、ようやくその機会が巡ってきた。帰省したこの機会に家族と両親を連れて行った。小さいころから慣れ親しんだ地元日本海、海岸線をドライブ。途中温海の道の駅で休憩し、鶴岡、酒田でおよそ2時間で到着。

酒田市のホームページで駅で無料自転車のレンタルをしているとあったのでまずは駅へ。6台ゲットして、まずは駅周辺で地元の新鮮な魚料理を食べられる「さわぐち」までサイクリング。やはり刺身が美味い。とくにいかは絶品だった。

続いて、本間家旧本邸を訪問。江戸時代に全国でも有数の資産家であった本間家。商いなどで成功した資金の大半は今でいうボランティアのような形で使い、絶頂期には酒田市の税金の半分を納めていた。当時の人々は、「本間様にはなれぬが、せめて殿様に・・・」といった程、人々に尊敬されていた。その上、豪邸だが自身の部屋はとても質素。いつの時代も、成功して、自分だけでなく、周囲に還元することで、さらなる幸が舞い込んでくるという成功の好循環が起こっていたのだろう。大金持ちでここまで地元民に愛されるのは珍しい気がする。

次に訪れたのが、山居倉庫。明治時代の米の保管倉庫で、ケヤキ並木の景観は庄内のシンボル的な存在。やはり、古いものが残るというのは大切。過去のものを現存させ続けるだけで、立派な観光資源に育つ。評価は後世に委ねられるが、想像力を膨らませて、各世代が思いをひとつにしてバトンを引き継いでいく・・・、とてもロマンがある。最後に、日和山公園。ここは文学の散歩道で、広々した酒田の港が眺められるレトロな公園。ゆっくりぼーと過ごしたくなる。

途中、雨がふってきて急いで自転車で駅に向かったため、他にもある見どころは行けなかったが、満足度の高い小旅行だった。

温海の道の駅から

山形と言えば、いも煮とさくらんぼ

親子3代酒田サイクリング

さわぐち定食

山居倉庫

 

山居倉庫とケヤキ並木

 

 

3週間フィリピン家族留学が無事終了。子供たちも語学学習だけでなく異文化交流を通じて成長した気がする。雨季ということで天候面での難や食事で苦戦することもあったが、幸運にも他に子連れ留学家族が参加して楽しく過ごすことが出来た。3週間でおよそ110時間のクラスを取り、夜なども学校にいる先生などと話せるのでかなり頭の回路が英語モードに切り替わった。子供たちも英語でコミュニケーション取ることへの抵抗はかなり薄れた。マニラのホテルに来ても積極的にスタッフに話しかけたり、食事のオーダーも自身でするようになった。

昨日の卒業セレモニーはわが家族だけだった。子供や妻は感極まって涙。先生達も涙を流していた。私たち一人ひとり紹介を受け、入校時に受けたレベルチェックと卒業前日に受けたスピーキングレベルチェックの結果を発表、そして最後に英語でスピーチをする。初めての家族総出での留学生徒だったせいか非常に盛り上がった。集合写真を撮り、別れを惜しみながらおのおの記念撮影。

最後に、ここでの大きな収穫は沢山の友人が出来たこと。実際に9月と10月に二人の若者とアジアと中国を旅することになった。また、経営者の井坂さん、ガリー、フィリピン人の先生の中にも数人今後もコンタクトを取り続けそうな友人もできた。こういう素晴らしい出会いがあることもこの留学の魅力だと思う。先生も生徒も同じ場所に住み込みで勉強する環境だからこういうアットホームで自然に友人になり易い雰囲気があるのだと思う。今度は、子供たちだけで留学させたい。

Thank you very much ,  CNE1family! I really appreciate  everything.

This is my last speech.

Thank you for gathering here in our graduation ceremony.At first,I was worried because I thought three weeks is a very long study hre in the Philippines to sutudy English.But I realized that time flies rapidly that three weeks is already finished unknowingly.

My experience here in CNE1is so unforgettable. I will always remenber my kind and friendly teachers,how I’m having fun with them and gaining more friends.I had my little “girlfriends” in the highschool department too!

I’m planning to send back my two daughters here in CNE1to study English.I want them to enjoy learning English because I believe it is a vital skill for them to communicate well with others.

Again,I want to thank everyone for accepting us as a part of CNE1 family,especially to Mr . Isaka,Mr Garry,Mr Tamura,and of couse my teachers Mia ,Melissa,Jenny,Dianne.You made us enjoy our study here in CNE1.

Thank you very much! Salamat po.  Kamusahamunida.

クラス後の日本語勉強会風景

My teacher Jenny

My teacher Mia

My teacher  Dianne

My teacher  Melissa

卒業式風景

My little girlfriends

私とTeacher  Mia  &   Yvonne

学校のあるタルラクはサトウキビのプランテーション事業が盛んでこんな景色がマニラへ向かう途中続く

 

僅かな滞在で首都マニラを観光するために車をチャーターした。噂には聞いていたがひどい渋滞だ。どこを走っても車がごった返している。元々、3時間チャーターだったが、延長して4時間に。

車窓から眺めていてマニラでもかなり貧しい印象を受ける。まず最初に訪れたのが、イントラムロス。フィリピンを植民地にしたスペインが、外壁で4.5メートルの城壁を作った。スペイン文化の色が未だに色濃く残り、ここだけスペインという感じだ。当時の教会などが今では学校や病院としてフィリピン人が活用している。アメリカとの戦争や第二次世界大戦など幾度の戦争で城壁は砲弾の跡が痛ましく残る。ここは馬車を利用し日本語ガイド付きで1時間1000ペソで回ることが出来る。

続いて、マニラ・オーシャンパーク。週末ということもあり、子供たちで溢れており、チケットを買うのに行列で中には入らず周辺を散歩した。いわゆる地場の魚をメインにした水族館だ。

最後に、マニラベイとリサール公園。海は正直汚いのと海と繁華街が近い。津波が来たら大変なことになる。ここは、フィリピン独立運動の指導者ホセ・リサールに由来している。ワシントンのリンカーン記念館から遠く国会議事堂までまっすぐ見渡せる景色を彷彿させるような造りだ。間違いなく意識している。

当然のことながらスペインの植民地時代、スペインからの独立革命、そして敗北、アメリカとスペインとの戦争で再び、独立革命が起こって一旦は独立へ向けて動き出したが、アメリカが拒否して米比戦争に発展し、敗北して再びアメリカの植民地になる。第二次世界大戦では日本軍の侵略もあり、長年にわたり、派覇権国家に翻弄された歴史があり、現在の貧困もここに起因していることが理解できる。しかし、至ることろで当然のことながらスペイン、アメリカ文化の影響を受けている。フィリピン人の陽気な気質や英語力が高いことなどが長い歴史から生まれたことを改めて知った。英語を学ぶためにフィリピンに来た人間としては非常に興味深い歴史を学んだ。

ホテルの部屋から眺めたマニラの景色

パシグリバー。城壁の周辺を流れる川。アメリカとの戦争時にスペインがワニをはなしたらしい

イントラムロスにあるサン・アグスチン教会フィリピン最古のバロック様式の石造教会で世界遺産。

スペイン風の街並み

アメリカを迎え撃ったスペインの砲台。現在周辺にはゴルフ場

オーシャン・パーク

リーサール公園

マニラベイ

トライシケル。裏道だけ走るタクシー

いたるところで見かけるジプニー。こちらは大通りを走る相乗りタクシー

裏道に入るとこんな感じだ