大連滞在3日目にしていよいよ旅の大きな目的のひとつである旅順へ。友人に中国人のガイドをチャーターしてもらい、かなりマニアックなところまで効率よく観光させてもらった。日露戦争の激戦の舞台となった旅順をめぐり、改めてここの壮絶な戦いでぶりを思い知らされた。旅順を陥落させるため、そして、旅順港のロシア艦隊を撃墜させるために背後の山々に張り巡らせられた要塞を攻撃する。現在は大きな木々に視界が遮られているが、戦時中は殆ど草原に近い状態だったため山上のロシア兵からはまさに丸見えの状態で戦いを挑まざるを得なかった。要塞に向かい下から駆け上がる日本兵がロシア兵の機関銃の前にバタバタと倒れたであろうことはすぐに想像できた。この難攻不落といわれた旅順を陥落させるにはあまりにも甚大な犠牲を払わねばならなかった。ロシアが降伏して戦争が終わっても、この山々には暫くの間、異臭が消えなかったそうだ。そして、血の赤と鉄の色で覆い尽くされていたというすざましさだったとか・・・

まずは、ホテルから歩いて大連駅へ。上野駅を模して建設されたらしい。

駅傍のバス停からローカルバスに乗り込む。

バスの中は、我々以外すべて中国人。普通は旅順観光に行く際は、大連からオプショナルツアーに参加するか列車を利用するのが一般的なのだろう。

白玉山塔(はくぎょくさんとう)からの旅順港。内海にロシア艦隊。外海の半島の陰に連合艦隊が潜んでいた。280mm砲の砲撃を受け撃沈するロシア艦隊を挟み撃ちするシーンが目に浮かぶようだった。

白玉山塔。日露戦争終戦後、連合艦隊司令長官の東郷平八郎と陸軍第三軍司令官の乃木希典が日本兵の慰霊のために建てた。

旅順駅。ヨーロッパ式の駅舎。現在は大連から1日2度列車がやってくる。

関東軍司令官。

旅順博物館。元々、ロシアが設計図を作って建設予定であったが、戦争が勃発して戦後に日本がアレンジして建てたもの。

至る所に日本の統治時代の日本人の作った家がまだ残っている。

二〇三高地。ここで乃木希典陸軍大将の息子が戦死した。

当時はこれらの木々は無く、丸見えの状態の中、下方から日本軍が駆け上がった。

記念碑。ここ二〇三高地の激戦で日本兵およそ1万人、ロシア兵5千人が戦死した。

この最後の砦である二〇三高地を陥落させ、旅順港のロシア艦隊の様子が丸見えになり、ここから指令を出し、他の山から280mm砲で砲撃した。しかし、これだけ離れたところから当時の大砲は届くのか思ったが、7.8km先まで飛んだらしい。これには驚いた。もっと近いところから砲撃していたと思っていた。

ここも激戦地。陥落させるのに3カ月弱かかって多数の死傷者を出した場所。

陥落させた陸軍の大将の名が裏に刻まれている。

恐ろしいロシアの要塞が浮かび上がる。

山を削り、深く掘り射口を設けてある。山頂めがけ下方から駆け上がってくる日本兵が落下し、行き場を失っていると射口から機関銃の連射を受けた。

ロシアが降伏して、乃木将軍とステッセル将軍がここ水師営会見所で会見を行った。ステッセル将軍が乗ってきた白馬を乃木将軍に差し出したそうだ。そして、その白馬を日本に持ち帰りその馬で天皇に報告に行ったという。左側がロシアの控室。右側が日本の控室。会見はロシア側で行われた。

そのロシア側の控室。

東鶏冠山北ほるい。二〇三高地と並ぶ激戦地。1904年8月19日から24日の第1回旅順総攻撃で日本軍は全滅。その後、トンネルを掘り再三の肉弾戦で12月8日に陥落させるも9000人もの犠牲者をだした。

激しい銃撃戦の跡が・・・

ここにあるロシア軍の大砲

日露監獄旧し博物館。独房や拷問所などがある。

旅順のバスターミナル。1時間強で大連へ。

最後の夕食は、天天漁港。大連を代表する海鮮料理のお店。

自分たちで食材を選ぶことが出来る。

地元の特産品の生うに。日本のうにに比べると味はかなり落ちると思う。

あわびのあんかけ。

 

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>