今回の大連旅行の目的はフィリピン留学で知り合った友人に再会することと日露戦争の激戦の舞台である旅順を訪問すること。大連に到着してまず思ったのが、こちらの中国人がやたらに声が大きいこと。友人に尋ねてみると東北の中国人は男も女も関係なく本当に声が大きいらしい。これは、その昔、住居が集合しておらず、少し離れた隣の家の人と話すとき、大声で会話していた名残があるとか・・・。日本からの留学生もこの大きな声の圧力を受けて萎縮してしまう人も多いらしい。さすがに同じ中国人が他の地域から来てもあり得ないと言うほどとのこと。

ホテルに入り、インターネットにアクセスしたのだが、グーグル・Facebookにはアクセス出来ない。分かっていたが、この中国流の情報統制には違和感を感じる。しかし、何度もアクセスを試みるとグーグルは使えたりするのが面白い。共産党の一党支配の国でこのようなツールを解禁したら確かにコントロール不能に陥る可能性があるだろう。

初日は友人と大連の街を散策。この街は元々小さな漁港があったくらいだった。大連の歴史は、日清・日露・第二次世界大戦から始まるおよそ100年程度のせいか建物も全般的に新しく近代的だ。いわゆる私たちの中にある中華街のイメージである雰囲気はない。

ホテルの部屋からの大連市内。

車の量が多いのと霧なのか光化学スモックなのか・・・空がどんよりしている。

旧ロシア人街。かつてこの地域はロシア人の居住地だったため、ロシア風の家屋などを見ることが出来る。

旧大連自然博物館。

友好広場。中央の球が目印。夜にはライトアップされる。大連はアジアで最も広場の多い街なのだそうだ。しかし、普通の広場ではなく、交差点や地下街までも広場としてカウントしているので若干インチキくさいランキングだ。

中山広場。放射状に延びる美しい広場なのだが、現在改装中で全容を見ることはできなかった。

大連賓館(旧ヤマトホテル)日本統治時代の建物だ。満州鉄道も含め日本人がかつて作ったものがここにはあまりにも多い。改めて日清戦争以降の日本人がこのように中国に深く入り込んでいったことがわかる。

勝利広場。ここは地下にあり現在はショッピングモールのようになっているが、戦時下に日本人が作ったもの。この地から日本を追い出し、勝利したということで勝利広場と名付けられている。中国人は基本的に過去の歴史の中で日本に戦争で負けたことがあるという認識は持っていないのだろう。

 

 

 

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